岡本太郎さん

自分に能力がないなんて決めて、引っこんでしまっては駄目だ。なければなお良い。今まで世の中で能力とか才能なんて思われていたものを超えた、決意の凄味を見せてやるというつもりで、やればいいんだよ。

むしろ、能力の無い方が素晴らしいんだと平気で闘えば、逆に能力がひらいてくる。ぼくは、特別力が強いわけでもない、金をそんなにもっているわけでもない。頭脳だってそれほど優秀じゃないかもしれない。つまり、様々のマイナスの面を背負っている。

でも、マイナスの面が大きければ大きいほど、逆にそれと反対の最高に膨れ上がったものを自分に感じるわけだ。弱い、なら、弱いありのままで進めばいいじゃないか。



強烈に生きることは常に“死”を前提としている。“死”という最もきびしい運命と直面してはじめて“いのち”が奮い立つのだ。“死”はただ生理的な終焉ではなく、日常生活の中に瞬間瞬間にたちあらわれるものだ。



人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発し続けるべきだ。いのちのほんとうの在り方だ。ぼくが芸術というのは生きることそのものである。人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命を突き出し爆発する、その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。“ 芸 術 は 爆 発 だ ”。


自分に忠実だなんて言う人に限って、自分を大切にして、自分を破ろうとしない。大事にするから、弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。自分自身を突き飛ばせばいいのだ。炎はその瞬間に舞い上がり、あとは無。爆発するんだ。全身全霊が宇宙に向かってパーッとひらくこと。それが「爆発」だ。



爆発などというと、ドカーンと大きな音がして、物が飛び散ったり、血が流れる暴力的なイメージを抱かれるかもしれない。が、私のいう爆発はそんなのではない。

音もなく、おどろおどろしい残骸もなく、ぱーっと宇宙に放射する。無償、無目的に。色でない色、形でない形で。全生命が瞬間的にひらききることが爆発なのだ。



生活にはさまざまの条件がある。ある程度それに順応しなければ生きてゆけない。しかし、順応しながら、一方では純粋に己れをつらぬくことができる。相対的と絶対的の矛盾のなかに、己れを生かしてゆくのがほんとうの人間だよ。



人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ。